武士の時代バナー 関ヶ原年表
 

 徳川家康が戦国時代を最終的に終結させ、260年余りの平和な時代の基礎を築いた類稀なる武将であることは疑うべくもない。

 しかしながら、その大きな転機となった「関ヶ原の戦い」について、あるいは、その前後の時代については、非常に謎が多い。

 私たちは、
東軍勝利という結果により、その謎の答えを導き出し満足しているような気がしてならない。

 あえて、
西軍関係・東軍関係に分けて年表を作成してみた。
 下にあるような謎について、年表を読んでも答えがあるわけではないが、これらのことを考えながら読んでいただきたい。

 
持論のある方は掲示板にて発言していただければ幸いです。


関ヶ原年表1<秀吉の死から利家の死まで>
 反家康派の中心は石田三成か前田利家か

関ヶ原年表2<利家の死後から上杉征伐直前まで>

 前田利長、細川忠興、浅野長政らの暗殺計画は本当にあったか
 上杉景勝は家康と戦うつもりだったのか
 家康は三成の挙兵を誘うために上杉征伐を決意したのか

関ヶ原年表3<上杉征伐から小山評定まで>

     西軍の首謀者は三成か、吉継か、秀家か

     毛利輝元は何故、家中の意見統一を待たずに大坂城入りしたのか

     増田長盛は家康のスパイだったのか

関ヶ原年表4<小山評定から関ヶ原本戦まで>          

     家康が江戸に約1ヶ月間、滞在した真意は何か

     西軍は何故、田辺城攻撃にこだわったか

     天下の堅城・岐阜城は何故、短期間で落城したのか

     上杉景勝は何故、家康を追撃しなかったのか

関ヶ原年表5<関ヶ原本戦当日>              

     小早川秀秋は当初から東軍方として松尾山を占領したのか

     島津軍は、動けなかったのか、動かなかったのか