武士の時代バナー 関ヶ原年表1
秀吉の死から前田利家の死まで
 
西軍(三成方)関係 東軍(家康方)関係
慶長3年
(1598)
8 18 秀吉、五大老・五奉行に秀頼を託し伏見城で没する(没年62歳)
     8 25 家康・前田利家、使者を朝鮮に遣わし諸将に撤退を命じる
三成・浅野長政、撤退準備のため筑前博多に赴く
   9 3 家康・利家ら、秀頼に忠節を誓う
  10 7 上杉景勝、伏見城に到着  
   10 8 前田玄以・増田長盛・長束正家、朝鮮在陣の諸将に撤退を命じる
  10 15 五大老の連署により朝鮮在陣の諸将に撤退を命じる
  11 8 毛利輝元、三成を茶会に招く  
   11 26   家康、長宗我部元親邸を訪問する
  12 3   家康、新庄直頼邸を訪問する
  12 6   家康、島津義久邸と細川藤孝邸を訪問する
  12 18 豊臣家が造営した方広寺大仏殿の造営が完成する 家康、方広寺を参詣する
慶長4年
(1599)
1 1 伏見城で前田利家、秀頼を抱き諸将から拝賀の礼を受ける  
  1 3 三成、島津義久(義弘の兄)に対し義弘父子と家康の往来が多いことを詰問し、義久は豊臣家に対し異心がないことを弁明する 家康、島津義弘・忠恒邸を訪ねて朝鮮での労をねぎらい刀や馬を贈る
  1 8 前田利家、家康・淀殿の反対を押し切り、秀頼を伏見城から大坂城へ移すこととする  
  1 9 前田利家主導で島津氏の朝鮮の戦功に対し加増を決定する。家康、時期尚早と反対するも押し切られる  
  1 10 秀頼、伏見城から大坂城に移る 家康、秀頼に従い大坂に赴き、片桐貞隆邸に入る
  1 11   家康、危険を察し、夜半に伏見に戻る
  1 19 家康を除く四大老が家康に対し、「松平忠輝と伊達正宗の娘を婚約させたことは太閤の遺命に背く」として使者を遣わし詰問する 家康、四大老の詰問に対し「難癖をつけ自分を大老から退けようとすることこそ太閤の遺命に背くものである」と反論する
家康、有馬則頼邸での能見物中に危険を察し自邸に戻る
藤堂高虎、三成が家康暗殺を目論んでいる旨を家康に注進する
      大坂の前田利家の下に利家派の武将が参集する
毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家・細川忠興・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・佐竹義宣・立花宗茂・小早川秀包・小西行長・長宗我部盛親・浅野長政・前田玄以・増田長盛・長束正家・石田三成
伏見の家康の下に家康派の武将が参集する
伊達政宗・福島正則・池田輝政・黒田長政・藤堂高虎・森忠政・織田有楽・黒田如水・有馬則頼・金森素玄・新庄直頼
  2 5 堀尾吉晴・生駒親正・中村一氏の三中老が仲裁し家康と利家・五奉行の和解が成る
  2 29 前田利家、加藤清正・浅野幸長・細川忠興を従え、伏見の徳川邸を訪れ、再度、家康と和を結び家康に向島に移ることを勧告する 前田利家による家康暗殺計画の噂が流れる
  3 11 三成、家康暗殺に失敗する 家康、大坂の前田邸を訪問する
  閏3 3 前田利家、大坂の自邸で没する(没年62歳)  

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