敗者であるためか、生没年の伝わらない武将が多い。
ほとんどが所領没収となった中、細川幽斎の篭城する田辺城攻撃に参加した多くが所領安堵となった点が興味深い。
また、本戦で東軍に転じた武将の多くが所領没収となったのに大垣城内で東軍に内応し同志を誘殺し開城させた武将が所領安堵となった点は対照的である。
<注>
枠内色が灰色の武将は東軍に転じた武将である。
新領地が赤字は所領安堵又は加増である。
兵数の不明な場合は100石につき3人と推定した。
年齢は関が原合戦の慶長5(1600)年現在である。
データについては、資料により相違する場合があるため異説があること了解されたい。
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