武士の時代バナー 歴代将軍の逸話集
 
八代 徳川吉宗


EPISODE1

 吉宗がまだ源六と呼ばれていた少年時代の頃、父の紀州候光貞が自分の子4人を集めて刀のつばの入った箱を見せ、好きなものを与えようと言った。
 源六は希望を言わないので光貞が理由を聞くと、
「兄上達が選んだ後で箱のまま全ていただきたいと思っていました。」と答えた。
 光貞は年に似ず肝が太いと喜び、望みの通り箱ごと与えた。
 源六は家に帰ってから
家来に刀のつばを2つずつ分かち与えたという。 

 
EPISODE2

 吉宗がまだ紀州で部屋住みだった青年期のこと。
 町を近習とともにお忍びで歩いていた時、偶然、商人の夫婦喧嘩を立ち聞きすることとなった。
 隣人が仲裁に入ったが殿様の言葉ならいざ知らず、隣人の言葉は聞かぬ、と言ったのを耳にした。
 翌日、吉宗は家来に
「殿様でない吉宗では不足だろうが、仲良くするように。」と喧嘩していた夫婦に伝えさせた。夫婦は恐れ入って仲良く暮らすようになったとのことである。

 
EPISODE3

 吉宗が鷹狩に出かけた時のこと、田の畦を歩いている時、糞桶があって、ひっくり返してしまい、衣服も汚れてしまった。
 吉宗は衣服を着替えた後、「この糞桶の持ち主を連れて来い。」と命じた。供奉の者はどうなることかと心配しながら、その農民を連れてきた。
 吉宗は、農民に次のように言ったという。
 「お前は田を肥やし、実を豊かにしようと、糞を買って苦労して担いできたのに、わしが誤って無駄にしてしまった。その代価としてわしの着ていたこの衣服をつかわそう。」

九代 徳川家重


EPISODE1

 家重は生まれつき多病で酒色に浸るなど気性も軟弱であったが、草花をこよなく愛し、名造花師の七郎兵衛をたびたび召し出し、その細工を楽しんだという。

 
EPISODE2

 ある日、家重が庭を散策している時、急に何事か侍女に命じたが誰もその言葉を解することができず、癇癪を起こしてしまった。
 困った侍女達は、唯一、家重の言葉を解する側用人 大岡忠光に来てもらい「今日は風が吹いて寒いから、羽織を着たい。」と言っていたのがはじめてわかった。
 家重は過度の飲酒により、日常的に言語障害をきたしていたのである。

十代 徳川家治


EPISODE1

 将軍の起床は6時となっていたが、家治も50歳近くなり早く目が覚めることが多くなった。
 そんな時は、
座敷の中を音を立てないよう行ったり来たりして6時になるのをひたすら待っていた。厠に行く時も当番の御小納戸役を起こさないように抜き足差し足で廊下を歩いたという。

 
EPISODE2

 家治は、祖父である吉宗のように名君たらんと、いつも意識し、食べ物にしても変わったものが出ると「これは先々代様も食べられたものか。」と確認するほどだったという。

 
EPISODE3
 ある激しい雨の日、家治は、ひとりの近習が空を見上げため息をついているのを目にした。
 別の者にため息のわけを聞いたところ、「あの者は貧しく、家が朽ちて雨漏りがしており、今ごろ親が苦心していることを思っているのでしょう。」と答えた。
 更に家治はいくらあれば直せるのか聞くと「百両もあれば直せると思います。」と答えた。
 家治はひそかに、ため息をついていた近習を呼ぶと
「孝を尽くせ。」と百両を渡したという。
十一代 徳川家斉


EPISODE1

 家斉は、御三卿の一橋家で生まれたが、この時、屋敷のあたり一面が真っ赤な光がただよっていて、その色がさめた時、家斉が生まれたという。
 後に家斉が将軍家に迎え入れられた時、一橋家の人々は、例の赤い光はこの慶事の前兆だったかと噂したという。

 
EPISODE2
 家斉は官位を望み、ついには将軍としては空前絶後の太政大臣にまで昇りつめ、それのみならず、生活のほうも奢侈に走り、その風は下々まで及び、特に幕政の綱紀の乱れが激しかった
 大御所になった家斉は将軍となった子の家慶に対し、「猿楽に耽るな」と諭したとされるが、家斉自身が奢侈な生活をしていたため、説得力がなかった。