歴代将軍の逸話集 | ||
二代 徳川秀忠
EPISODE1 家康が本多正信に「将軍家の律儀には困ったものよ。人は律儀だけではいかぬものよ。」といった。
正信は早速、秀忠に「上様には時には、うそを仰せられたほうが良いのではありませんか。」と言ったところ、秀忠はこれに対し「大御所さまのうそなら誰でも買うだろうが、私がうそをついても誰も買うまい。」と言ったという。EPISODE2 秀忠は特に鼓を打つことを好んだが、将軍となってからは一度も鼓に手を触れなかった。
近侍のものが、その理由を聞いたところ秀忠は「上の好むものは下も必ず好むものである。今、私が鼓を好むとなれば貴賎を問わず鼓を好み、武備がおろそかになることを恐れるのだ。」と答えたという。EPISODE3 家康が存命中はその意に従い、没後もよく遺訓に従ってきた秀忠であったが自分が死の床についた時、家光を枕もとに呼び、次のように言った。
「徳川家が天下を取って、まだ日も浅い。今まで制定した法令も完全なものとはいえない。近いうちに、これを改正しようと思っていたが、不幸にしてその志を果たすことができない。私が死んだあとは、少しもはばかることなく、これを改正せよ。これこそが我が志を継いだことになるのだ。」
三代 徳川家光
EPISODE1 日光東照宮の造営にあたり、家光は造営の惣奉行である秋元但馬守泰朝に「費用はいかほどか。」と予算額を聞いたところ、泰朝は「百万両ほどです。」と答えた。
竣工の時も泰朝に「いかほどかかったか。」と聞いた。泰朝は予算を多めに言ったのに実際に百万両かかってしまったため、恐る恐る「急ぎの造営だったので百万両程かかりましたでしょうか。」と答えたところ、家光は「思いのほか要らなかったな。」と答えたと言う。EPISODE2 鷹狩の帰りのこと、家光の行列の先に一人の男が酔いつぶれて寝ていた。
家光が家来に命じ、訳を聞かせると「今日は恵比寿講だったため、酒を飲んでいたが、あの者が酔いつぶれてしまった。担ぎこもうとしたが、将軍さまのお通りに間に合わなかった。」ということであった。
これを聞いた家光は「それは気持ち良い事だ。もっと、酒を飲ませてやると良い。肴でもとらそう。」と言って狩りで仕留めた鳥を下賜させたという。EPISODE3 家光は秀忠の逝去に伴い、諸大名を前に次のように言ったという。
「東照宮が天下を平定なさるに際しては、諸侯の力を借りた。秀忠公も元はおのおのがたの同僚であった。しかるに、わたしは生まれながらの将軍であるから前二代とは格式が違う。
従って、おのおのがたのあつかいは以後、家臣同様である。」