水戸徳川家 |
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1 成り立ち
2 基礎データ
3 分家
4 歴代藩主 |
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1 成り立ち |
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水戸徳川家は、徳川家康の十一男・頼房を祖とする。
慶長7(1602)年、水戸に家康五男・武田信吉が下総佐倉から15万石で封じられたが、翌年、信吉が没する。 その後、家康十男・頼宣(紀伊家藩祖)が25万石(はじめ20万石)を与えられた。
慶長14(1609)年、頼宣は駿府に移され、頼房が常陸下妻10万石から水戸25万石(のち35万石)に転封となり、ここに水戸徳川家が成立する。 |
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2 基礎データ |
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家(藩)祖 |
徳川頼房 |
官位・官職 |
正三位・中納言 |
家格 |
御三家 |
石高 |
35万石
常陸の内
茨城
那珂
久慈
多賀
行方・新治の一部
下野の内
那須 |
殿中詰所 |
大廊下 |
城 |
水戸城 |
人口 |
7,384人(町方のみ)
武家 875軒(寛政9年)
町方 1,833軒(天保年間) |
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3 分家 |
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@ 高松松平家(讃岐高松藩)
家(藩)祖 |
松平頼重(よりしげ) |
官位・官職 |
従四位下・権少将兼讃岐守 |
家格 |
城主 |
石高 |
12万石 |
殿中詰所 |
溜間 |
頼重は、水戸藩祖・頼房の長男として生まれた。まだ、尾張・紀伊に子がなかったことから、頼房は遠慮し頼重を水子にするよう命じたとされる。
家臣により密かに養育された頼重は、後に認知され、寛永16(1639)年に幕府より常陸下館五万石を与えられた。
更に寛永19(1642)年には讃岐高松十二万石に加増転封され、明治維新まで続いた。 |
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A 守山松平家(陸奥守山藩)
家(藩)祖 |
松平頼元(よりもと) |
官位・官職 |
従四位下・大学頭 |
家格 |
陣屋 |
石高 |
2万石 |
殿中詰所 |
大広間 |
頼元は、水戸藩祖・頼房の四男として生まれた。寛文元(1661)年、水戸領の内、常陸国那河郡額田二万石を分与され別家を立てた。
頼元の長男・頼貞は元禄13(1700)年、幕府から陸奥守山・常陸松川二万石を与えられたため、旧領は本藩に返還した。
守山藩は、本藩と同じく参勤交代はせず、定府。 |
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B 府中松平家(常陸府中藩)
家(藩)祖 |
松平頼隆(よりたか) |
官位・官職 |
従四位下・侍従兼播磨守 |
家格 |
陣屋 |
石高 |
2万石 |
殿中詰所 |
大広間 |
頼隆は、水戸藩祖・頼房の五男として生まれた。寛文元(1661)年、水戸領の内、久慈郡保内など二万石を分与され別家を立てた。
元禄13(1700)年、幕府から陸奥・常陸のうち二万石を与えられたため、旧領は本藩に返還した。
守山藩は、本藩と同じく参勤交代はせず、定府。 |
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C 宍戸松平家(常陸宍戸藩)
家(藩)祖 |
松平頼雄(よりお) |
官位・官職 |
従五位下大炊頭 |
家格 |
陣屋 |
石高 |
1万石 |
殿中詰所 |
帝鑑間 |
頼雄は、水戸藩祖・頼房の七男として生まれた。天和2(1682)年、水戸領の内、茨城郡内27カ村一万石を分与され別家を立てた。
宍戸藩は、本藩と同じく参勤交代はせず、定府。 |
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4 歴代藩主 |
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藩主 |
生没年 |
父 |
正室 |
官位 |
藩主在任 |
母 |
諡(おくりな) |
初代 |
よりふさ
頼房 |
慶長8(1603)年
寛文元(1661)年 |
徳川家康(11男) |
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従三位権中納言 |
慶長14(1609)年12月
寛文元(1661)年8月 |
お万の方 |
威公 |
二代 |
みつくに
光圀 |
寛永5(1628)年
元禄13(1700)年 |
頼房(三男) |
康姫
(近衛信尋娘)
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従三位権中納言 |
寛文元(1661)年8月
元禄3(1690)年10月 |
谷久子 |
義公 |
三代 |
つなえだ
綱条 |
明暦2(1656)年
享保3(1718)年 |
松平頼重(次男)
(高松松平家) |
季君
(今出川公規娘) |
従三位権中納言 |
元禄3(1690)年10月
享保3(1718)年9月 |
土井利勝娘 |
粛公 |
四代 |
むねたか
宗堯 |
宝永2(1705)年
享保15(1730)年 |
松平頼豊(長男)
(高松松平家) |
美代姫
(三代・綱条娘) |
従三位左近衛権中将
兼参議 |
享保3(1718)年9月
享保15(1730)年4月 |
湯浅氏 |
成公 |
五代 |
むねもと
宗翰 |
享保13(1728)年
明和3(1766)年 |
宗堯(長男) |
絢君
(准后一条兼香) |
従三位権中将
兼参議 |
享保15(1730)年4月
明和3(1766)年2月 |
美代姫 |
良公 |
六代 |
はるもり
治保 |
宝暦元(1651)年
文化2(1805)年 |
宗翰(長男) |
八代君
(准后一条道娘) |
従三位権中納言 |
明和3(1766)年2月
文化2(1805)年11月 |
榊原氏 |
文公 |
七代 |
はるとし
治紀 |
安永2(1773)年
文化13(1816)年 |
治保(長男) |
方姫(達子)
(紀伊重倫娘) |
従三位権中将 |
文化2(1805)年11月
文化13(1816)年8月 |
八代君 |
武公 |
八代 |
なりのぶ
斉脩 |
寛政9(1797)年
文政12(1829)年 |
治紀(長男) |
峯姫
(徳川家斉娘) |
従三位権中納言 |
文化13(1816)年8月
文政12(1829)年12月 |
五百の方 |
哀公 |
九代 |
なりあき
斉昭 |
寛政12(1800)年
万延元(1860)年 |
七代・治紀(三男) |
登美宮
(有栖川宮織仁娘) |
従三位権中納言 |
文政12(1829)年12月
万延元(1860)年8月 |
お永の方 |
烈公 |
十代 |
よしあつ
慶篤 |
天保3(1832)年
明治元(1868)年 |
斉昭(長男) |
線宮
(有栖川宮幟仁娘・
徳川家慶養女) |
従三位権中納言 |
万延元(1860)年8月
明治元(1868)年5月 |
登美宮 |
順公 |
十一代 |
あきたけ
昭武 |
弘化5(1848)年
明治43(1910)年 |
九代・斉昭
(十八男) |
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従一位 |
明治元(1868)年5月
明治2(1869)年6月 |
睦子 |
節公 |
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