武士の時代バナー 武士の身分
 

 武士の身分は厳格に区分され、それが封建社会の秩序を保つ上での基本の一つであったことは事実であるが、それでは武士の身分がどのように区分されていたかという問題になると必ずしも明確でない部分があるように思える。

 例えば「武士の給料」に記した旗本が200石以上、御目見え以上でそれ以外が御家人という定義も正しいとは言い切れないのである。

 ここでは、武士の身分を決定づける官位・家格・禄高・役職についてとりあげる。
 この四つの事項は互いに関連しあって身分を決定し、「相手に対する呼びかけ」「服装」「家の造り」「江戸城内の詰所」「御目見えの時の扱い」等々細部に至るまで格式でがんじがらめの武士の生活を創り出すのである。
 
武士の身分を決定する四本柱
1 官位
2 家格
3 禄高
4 役職
 官位

 「従二位大納言」というような朝廷から賜る位階・官職のこと。
 「武家の官位は公家相当官の外たるべき事」とされていた。即ち、官位は幕府の奏請により朝廷から賜るものあり、公家の位階・官職とは別枠とされていたのである。

 また、官位は家柄によりほぼ定まっており、代々受け継がれた。特別なことがない限り官位が上下することはなかった。
 代表的な家の最高官位は以下のとおり。(「従四位下」以下省略、なお、大名の最低官位は従五位下


  
最高官位 家名
従二位大納言 尾張・紀伊
従三位中納言 水戸・田安・一橋・清水
正四位上宰相 前田
正四位上中将 松平(会津)・井伊
従四位上中将 島津・伊達・松平(越前)・松平(高松)
正四位上少将 高家諸家
従四位上少将 黒田・細川・浅野・毛利・鍋島・池田(因幡)・池田(備前)
蜂須賀・松平(津山)・松平(松江)・上杉・松平(高須)・松平(西条)
   
 家格

 家格とは主として先祖の功により生まれながらにして決定されている、いわば血統による身分である。
 大名であれば、御三家・御家門・譜代・外様の区分があり、さらに大名以下であれば幕臣には旗本・御家人の区分がある。

 御家人の中でも次のような三等といわれる区分がある。
   
三等 説明
譜代  家康以来の家臣で禄が末代まで保証されている。
 譜代の中にも玄関を作ることが許される「席以上」と許されない「席以下」がある。
二半場  譜代に準ずる家格で禄が保証される訳ではないが、子に相続が許される。 
抱席  一代限りの家格という建前で子が跡を継いだ時は、新たに禄を受けるという形をとる。
   

 藩臣は幕臣より下位とみなされ、藩臣にも藩により名称等の違いはあるが藩主に御目見えする資格を有する者とそうでない者等の区分があった。


 禄高

 禄高もまた基本的には先祖の功により決定され、将軍家に対する臣従の見返りとして保証された収入である。詳しくは「武士の給料」

 役職

 役職は幕府あるいは藩の職のことで大名であれば、老中・寺社奉行などであり、幕臣であれば大目付から実質上無役である小普請組までかなりの数の役職がある。

 御家人であれば、勤務時の服装により身分の区分を四種に分けることができる。

四種 説明 役職例
上下役 裃着用 徒目付・支配勘定
役上下 出勤時のみ裃着用 町方与力・御留守番与力
羽織袴役 羽織袴着用 町方同心・普請方同心
白衣役 裃、羽織袴を着用しない 掃除之者・材木石奉行手代

例えば以上の四本柱で幕末の会津藩主 松平(保科)容保を見ると次のようになる。

   @ 官位  正三位宰相 肥後守
          松平(会津)は正四位中将が極官であるが容保は異例
   A 家格  御家門
   B 禄高  28万石
   C 役職  京都守護職