武士の時代バナー 武士と馬
 

1 騎馬隊
2 軍馬の気質と体格
3 戦場での戦い方
 騎馬隊

 武士といえば、颯爽と馬に跨り戦場を駆る、というイメージがある。
 武家は
弓馬の家ともいわれ、馬の良し悪しが戦場での働きに関わる訳だから、武士にとって馬は非常に大切なものであった。

 馬といえば、
甲斐武田の騎馬隊が有名である。しかし、武田騎馬隊は存在しなかったというのが半ば定説とされている。

 その理由は、当時の騎馬武者は軍役により、従者共々寄せ集められた者達がほとんどであり、普段からの
集団訓練は不可能であったことに尽きると考えられる。
 つまり、当時の軍馬は
日本馬であり、非常に気が荒く、馬だけが一斉に突撃するのはかなりの熟練を要するのであって、集団訓練なしには騎馬隊はありえないのである。
 軍馬の気質と体格

 軍馬は、早く走ることが主眼ではないから逞しく勇敢な気質が必要とされる。また、騎乗武者は馬に乗ったままではなく、戦闘状況によっては乗ったり、降りたりするので必ずしも大きな馬が必要とされるわけではなかった。完全な形で当時の馬が発掘された例は少ないから断定できないが体高は120〜145cm位が平均的であったと推測され、現在のサラブレットと比較するとかなり小型である。

 ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「日本史」の中で「西洋の馬は非常に美しいが日本の馬は美しいとは言えない。西洋馬は走っていてもすぐ止まるが、日本馬はひどく暴れる。」と述べており、当時の馬の気性の荒さが想像できる。
 戦場での戦い方

 騎乗では、弓でも槍でも敵が左前にくるように位置取ることが非常に大切であった(右ききの場合)。この時、騎乗の相手を狙わず馬を狙うというのも非常に有効であった。敵を倒せないまでも制御不能状態に陥るからである。
 また、敵の騎馬の側面に馬ごと体当たりをして、落馬させるという「当て落とし」も有効であった。
 ただ、これらは理想論であって騎乗同士の場合は先に仕掛けた方が断然有利であったらしい。同時に仕掛けた場合はもつれ合って、両者とも落馬するというのが常態だったようである。
 逆に騎乗の敵に対する時は、離れた場所から鉄砲、弓で標的の大きな馬を狙うのが理想的である。