将軍の体格 | ||
昭和33年から昭和35年にかけて徳川将軍家の菩提寺である増上寺において、二代将軍秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の六将軍と綱重(三代家光の子)ら一族32人の改葬が行われた際、墓の構造、副葬品及び遺体の調査研究が行われた。
それによれば将軍の平均身長は157.3pであり、当時の一般庶民とほぼ同じであったが六代家宣から明らかに一般庶民と異なった点が見受けられた。@ 頭骨水平周が著しく大きい(頭でっかち)
A 顔型はかなりの過狭顔型(細面)
B 四肢骨が細い(華奢な体型)
C 鼻は高く筋が通っていた(家宣は例外)
D 眼は水平か多少下がり気味(推定)
E 歯は磨耗がほとんどなく、虫歯が非常に多かったただし、二代秀忠の骨はたくましく発達しており、まだ、一般庶民とかけ離れたところは見受けられない。
研究報告書では、遺伝と生活形態の変化が原因であるとしているが、やはり戦に明け暮れた戦国大名などと違い、将軍の存在が象徴的なものとなり次第に貴族化していったことは疑う余地はないだろう。
なお、蛇足ながら将軍の正室・側室の体格は一般庶民女性と比較して、さほど差は見られなかったようである。(十四代家茂の正室和宮だけは貴族的体質であった。)
ただ、頭蓋骨から推定すると正室・側室は例外なく絶世の美女ばかりであったという。