将軍家って何? | ||
徳川将軍家は、「内大臣、従一位、征夷大将軍、源氏の長者、淳和奨学両院別当(じゅんなしょうがくりょういんべっとう)、兼右近衛大将(うこんえのたいしょう)、右馬寮御監(うめりょうぎょかん)」などという格式を朝廷から与えられていた。これらは、歴代将軍家すべてが同一であったわけではなく、将軍により多少異なる。また、内大臣等と征夷大将軍が一度に与えられるものではない。このうち、征夷大将軍というのが即ち将軍ということだが、その名のとおり本来は夷(えびす)を征するために臨時に任命された軍事指揮官の称号であり、幕府というのもいわば軍司令部の意味である。
この天皇から与えられた軍事指揮権が恒常化することによって、政権自体を委任された称号を意味することとなった。では、はじめて征夷大将軍となったのは誰か?
源頼朝と答えてしまいそうになるが奈良時代の大伴弟麻呂が最初といわれ、最後の将軍が徳川慶喜である。
なかでも木曽義仲が任命された意義は大きい。なぜならば、これより以後、征夷大将軍が”征夷”という意味から離れ任命されることになるからである。
そして、源頼朝が任命されてからは武門の棟梁を意味することとなる。なお、公方という別称もあるが、本来は「公家の方」という意味で朝廷や天皇、上皇のことを指す意味であった。はじめ、足利尊氏が天皇に称することを許されたが、恐れ多いと言うことで辞退したのだが、足利義満が「公家には、摂家という棟梁があり、僧には門跡という棟梁があるのに武家には棟梁の名がない。」と言って朝廷に許された称号だという説と武家の棟梁の自称だとする説もある。
* 淳和奨学両院別当・・・学問所長官右馬寮御監・・・官馬調練所長官
征夷大将軍一覧 | ||||
名 前 | 生没年 | |||
古代の征夷大将軍 | 大伴弟麻呂 | おおとものおとまろ | 731-809 | |
坂上田村麻呂 | さかのうえのたむらまろ | 758-811 | ||
文室綿麻呂 | ふんやのわたまろ | 765-823 | ||
武家の征夷大将軍 | 木曽(源)義仲 | きそのよしなか | 1154-1184 | |
鎌倉将軍 | 源頼朝 | みなもとのよりとも | 1147-1199 | |
源頼家 | みなもとのよりいえ | 1182-1204 | ||
源実朝 | みなもとのさねとも | 1192-1219 | ||
藤原頼経 | ふじわらのよりつね | 1218-1256 | ||
藤原頼嗣 | ふじわらのよりつぐ | 1239-1256 | ||
宗尊親王 | むねたかしんのう | 1242-1274 | ||
惟康親王 | これやすしんのう | 1264-1326 | ||
久明親王 | ひさあきらしんのう | 1276-1328 | ||
守邦親王 | もりくにしんのう | 1301-1333 | ||
建武の新政下の将軍 | 護良親王 | もりながしんのう | 1308-1335 | |
成良親王 | なりよししんのう | |||
足利将軍 | 足利尊氏 | あしかがたかうじ | 1305-1358 | |
足利義詮 | あしかがよしあきら | 1330-1367 | ||
足利義満 | あしかがよしみつ | 1358-1407 | ||
足利義持 | あしかがよしもち | 1386-1428 | ||
足利義量 | あしかがよしかず | 1407-1425 | ||
足利義教 | あしかがよしのり | 1394-1441 | ||
足利義勝 | あしかがよしかつ | 1434-1443 | ||
足利義政 | あしかがよしまさ | 1435-1490 | ||
足利義尚 | あしかがよしひさ | 1465-1489 | ||
足利義稙 | あしかがよしたね | 1466-1523 | ||
足利義澄 | あしかがよしずみ | 1480-1511 | ||
足利義晴 | あしかがよしはる | 1511-1550 | ||
足利義輝 | あしかがよしてる | 1536-1565 | ||
足利義栄 | あしかがよしひで | 1538-1568 | ||
足利義昭 | あしかがよしあき | 1537-1597 | ||
徳川将軍 | 徳川家康 | とくがわいえやす | 1542-1616 | |
徳川秀忠 | とくがわひでただ | 1579-1632 | ||
徳川家光 | とくがわいえみつ | 1604-1651 | ||
徳川家綱 | とくがわいえつな | 1641-1680 | ||
徳川綱吉 | とくがわつなよし | 1646-1709 | ||
徳川家宣 | とくがわいえのぶ | 1662-1712 | ||
徳川家継 | とくがわいえつぐ | 1709-1716 | ||
徳川吉宗 | とくがわよしむね | 1684-1751 | ||
徳川家重 | とくがわいえしげ | 1711-1761 | ||
徳川家治 | とくがわいえはる | 1737-1786 | ||
徳川家斉 | とくがわいえなり | 1773-1841 | ||
徳川家慶 | とくがわいえよし | 1793-1853 | ||
徳川家定 | とくがわいえさだ | 1824-1858 | ||
徳川家茂 | とくがわいえもち | 1846-1866 | ||
徳川慶喜 | とくがわよしのぶ | 1837-1913 |