(日光の歴史)
日光の歴史は古く、天応2(782)年に勝道上人によって開山されたといわれている。
その後、山嶽信仰の興隆や源頼朝が日光二荒山神社を深く崇拝したことなどから関東武士の篤い信仰を受けることとなった。
寺格も次第に高くなり、皇族が座主になることも、しばしばあったようであるが、豊臣秀吉の小田原征伐の際、日光の僧兵が北条方に味方して秀吉の怒りを買い、所領のほとんどを失った。
(日光東照宮)
徳川家康は死に臨んで次のように遺言したとされる。
「私が死んだら、まず、久能山に納め、神として祭るように。葬式は増上寺で行い、三河の大樹寺に位牌を立てよ。一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて勧進せよ。関八州の鎮守となろう。」
この遺言により、天海が敷地の選定を行い、本多正純を造営奉行として、日光に東照社が造営され、元和3(1617)年4月、家康の遺骸が移された。この当時の東照社の詳細は不明だが、久能山東照宮と同程度の規模と考えられている。
現在の東照宮は、家康を深く崇拝する三代将軍・家光により寛永13(1636)年に造りかえられたもので、その後も20〜30年ごとに大規模な修繕が行われ現在に至っている。
(輪王寺大猷院)
輪王寺大猷院(りんのうじたいゆういん)は三代将軍・家光の廟所で大猷院は家光の法名でもある。遺言により東照宮を凌ぐことのないように規模、細工とも控えめに造営されたが黒と金を基調とした姿は東照宮とは違った存在感がある。
(世界遺産登録)
日光の東照宮、二荒山神社、輪王寺の建造物は「日光の社寺」として平成11年12月に世界遺産に登録され、その絢爛豪華な社寺郡は、修学旅行生、外国人旅行者など多くの参拝客に感動を与えつづけている。
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