将軍と御台所の言葉
 

 将軍と御台所の関係は、どのようなものであったのだろうか。
 全く野次馬的な興味ではあるが、気になるところである。

 一般には、二代将軍秀忠が恐妻家であったとか、十一代将軍家斉が精力絶倫であったとか、十四代将軍家茂と和宮が仲睦まじかったということが良く知られている。

 ちなみに歴代将軍で正室との間に子を成したのは、15人中、家康、秀忠、家宣、家治、家斉、家慶、慶喜の7人である。これを以外に多いと見るか、少ないと見るか見解が分かれるところだろう。

 ところで、御台所というのはたいそう権威があったらしい。男で御台所に拝謁できるのは大老、老中、若年寄、御側御用人ぐらいのもので、しかも拝謁する時は平伏したままで顔を見ることもできなかったという。

 さて、ここで本題であるが、そんな御台所と将軍はどんな話し言葉を使っていたのだろうか。
 明治になってから元大奥中臈 箕浦はな子氏に聞いた話が残っている。


 「将軍の言葉はどういうふうですか。昔の本で二代将軍の言葉を見ましたが『おじゃる』というようなことがあったようです。やっぱり、そんな言葉でしたか。」

 「御自身のことを『こちら』と申されました。」
 「御付の方の言葉は、やはり遊ばせ言葉でしたか。」

 「そうでございます。」
 「下方の遊ばせ言葉と同じですか。」

 「そうでございます。将軍様は御自分のことを『自分が』とおっしゃったこともございます。こちらとか自分がとかおっしゃいました。」
 「御付の方の言葉は、やはり遊ばせ言葉でしたか。」

 「そうでございます。」
 「御台所様はなんと申されましたか。」

 「御台所様は私とおっしゃいました。『私は嫌いじゃ』とか、あーじゃ、こーじゃとおっしゃったのでございます。公方様は『嫌だ』『好きだ』とおっしゃって、別に通常の言葉と変わったことはございません。」
 「あなた方が御台所様になんと言うのですか。」

 「御前と申します。将軍家には、上(かみ)と申します。」