武士の時代バナー 武士の父子関係
 

 今回は武士の父子関係について考えてみます。
 親子関係を一律に述べる事はできませんが江戸学の祖である
三田村鳶魚(えんぎょ)が広島藩12代藩主・浅野長勲(ながこと)に直接、聞き書きした貴重な資料の中から父子関係について述べた部分を中心に紹介したいと思います。

 江戸時代の父子関係は武士に限らず、儒教の
忠孝主義が根本にあります。
 浅野家では、嫡男以外の男子(庶子)は浅野姓を名乗らせず安井姓を名乗らせ、嫡男との待遇は大きく違ったといいます。庶子は家老を呼ぶ場合も○○殿と呼ばなくてはならず、父である藩主に面会するのも容易ではなかったようです。

 嫡男に限っては自分が当主になっても必ず朝夕に親に挨拶に行きました。
 子は必ず袴をつけて、脇差を次の間に置き、敷居越しに礼をする。
 親の「はいれ」という言葉があって初めて中に入る。非常に厳格なものです。
 親と対話する場合も子は親の胸あたりに視線を当てる。目を見れば驕った風になり、下を見ると憂えた風になるためにそのようにすると述べています。
 また、時に親子で食事する場合も親より先にご飯のお替りすることがなかったようです。

 この時代、隠居した後であっても親は子を勘当することが可能だったのです。
 
 ここまで厳格ではなくても、武士に限らず50年、100年前には、このような風が日本には残っていたのかもしれません。現在でも儒教色が強いといわれる韓国では親や目上の人の前でタバコを吸う事さえもためらうと言われています。

 一方で、子が当主となれば隠居した親は表向きのことに一切口は出さなかったと言います。子である当主と隠居した親が並ぶ場合も公的な場であれば当主が上座、私的な場では親が上座であったと言います。もっとも、公式な場に隠居した親が出ることは稀でした。

 この時代の父子関係では相続や養子制度も重要ですが、それについてはこちらをご覧ください・・・武士の相続

 最後に浅野長勲は父子での相手に対する呼称を紹介しています。


呼ぶ側 呼ばれる側 呼びかけ
大名である親 殿様
隠居の親 官名
隠居の親 太守
大名 部屋住みの子 名前
大名 官名のある子 官名
大名 女子 名前
母(大名の妻) 御前様